どうも!くまっけ音楽チャンネルのくまっけです。
現在家族バンドをやりながらYoutubeチャンネルで初心者向けギター弾き語り講座をしている私、くまっけ。
このページでは、音楽とは無縁だった私がギター弾き語りを初めて何とか弾けるようになった経緯や、
それから音楽が仕事になるまでの経緯を書いていきます!
今やたくさんの方にご登録いただいているギターチャンネルをやっている私ですが、
実はギターや音楽なんか全然得意じゃなくて、むしろ運動が大好きな体育少年だったんです(笑)
ギターに出会ってからも挫折の連続でした。
全然できるようにならず何度もやめかけたり、
なのにギター弾き語りで食っていこうと大企業を10ヶ月でやめて貧乏生活をしたりと…中々壮絶なる人生を送ってきたんです。
今日はそんな私が『好きな人と好きなことで活きていく』と決めて、
ギターで幸せを掴むまでの波瀾万丈な人生バラエティをお届けするので、最後までご覧ください!
↑今ではオリジナルギターを作るまでに、音楽にハマっています。
産まれてから体育大で挫折するまで
私は1988年、宮城県仙台市で生まれました。
仙台市は大きな地方都市と思われるかもしれませんが、ギター教室なんて街には少ししかありません。
当然当時の私はギターの「ギの字」も知らない少年でした。
小学校の合唱ではいつも口パクをして怒られていたぐらい、音楽はどちらかというと嫌いなものでした。
むしろ昔から体を動かすのが好きで、友達と公園で鬼ごっこをしたり、家の前でサッカーをしたり、
近所の森で秘密基地を作って遊んだりしていました。
そんな小学校時代を経た私は運動に関する仕事をしたいと思い上京、日本体育大学に入学します。
この頃の僕はギターなんてほんと1mmも興味なしで運動に夢中だったんですよね(笑)
しかし日本体育大学、通称日体大には猛者しかおらず、運動において私はその差をまざまざと見せつけられます。
どれくらい猛者達ばかりだったかというと…今でも苦い思い出としてあるのが、110mハードル走のテストです。
確か、約16秒以内に走り切る、というテストだったのですが、
クラスで次々と受かっていく中、私だけがテストに落ちてしまいました。
日体大生レベルにとっては相当簡単なテストだったらしく、
その時の先生の表情が「え、このテストで落ちるんか・・・」という絶望の表情だったのを覚えています。
結局このテストで不合格だったのはクラスで私一人でした。
それからクラスメイトにハードルの飛び越え方を教えてもらいながら練習を重ね、
なんとか追試に追試を重ねて単位をもらうことはできたのですが、
この時自分のために周りが奮闘してくれているのを見て、嬉しいというよりも恥ずかしいという気持ちが強かったです。
なんでみんなできているのに自分はできないのかと、
あの時は正直悔しくて、泣きそうでした。
あとは水泳の授業の一環で、「大遠泳」という実習があったのですが、ここでも溺れかけるという醜態を晒します。
海で約4km泳ぐのですが、最初隣で泳いでいたクラスメイトがグングン先に行ってしまい、
それを見ていることしかできなかったことが、私はとても悔しかった。
そんな日々を一年過ごし大学2年生になる頃には、体を動かすこともそこまで好きではなくなってしまい、
暇な毎日を送るようになります。
体育自体は好きだったのかもしれないけど、周りの仲間達に馴染めない自分の能力や環境が辛くて受け入れられなかったんですね。
ギターとの出会い
そんな時、所属していたサークルの先輩が部室でギターを弾いている姿を目撃します。
その先輩の周りには他の部員も集まっていて、皆で楽しそうに音楽をしていました。
先輩が弾いて、部員が歌う。
先輩が弾き語って、それを部員が聴く。
ギターで弾き語る姿は、ただただ格好良かったです。
私はその時思いました。「これはモテる」と。
また、その時の私はカラオケが大好きで、毎日カラオケに行くほど歌にハマっていました。
ギターが弾けたらカラオケに行かなくてもいいじゃん!
しかもモテるし薔薇色の大学生活がはじまるじゃん!
と思いました。
体育から逃げたかったという気持ちもあり、すぐにギターを始めようと思った私。
ちょうどそのタイミングで先輩が新しいギターを買うということで、
今まで先輩が使っていた古いアコースティックギターも譲り受けることができました。
こんな感じで私のギターとの出会いは「現実逃避」と「モテ」という最悪の始まりだったんです(笑)
しかしこの出会いがこの先、仕事となり沢山の素敵な人たちと出会わせてくれることになるとは…、当時想像すらしませんでした。
最初に何を練習しようかと悩んだ時、19というデュオが好きだった私は、
19の全曲集を買って、お気に入りの曲だった「大切なひと」を弾けるようにすることを目標にします。
なぜこの曲を選んだかというと、ネットで調べた時に曲の難易度が一番低かったからです。
19の中で一番簡単です!と、当時見たサイトには書いてありました。
使われてるギターコードも5つしかない、初心者でもすぐ弾けます!と。
これなら飽き性の私でもすぐできる!
そしてすぐモテる!
と思い早速練習をはじめました。
ちなみに19の全曲集を買った理由は、当時はネットなどにギターコード譜はあまり載っておらず、
19の色々な曲を弾きたい私にとって買う以外の選択肢がなかったからです。
ギターも手に入れて、楽譜も手にいれて、さぁ、あとは弾くだけだ!
となったのですが・・・、そもそも何の練習から始めればいいのかがわかりません。
とりあえずギターコードというものを覚えなきゃいけない、と思った私は、コードの暗記からはじめました。
実際に弾いてみようとCコードを弾いてみるものの、あまりに指が痛すぎて、
開始5分で辞めてしまいます。
でも暇だった私は、指の痛みが少し治ったらまた弾いてみたりと、少しずつ練習を続けました。
皮膚が薄いからか、とにかく指が痛かった私は絆創膏を巻いて練習していたこともありました。感覚はなくなりますが、
一応練習はできるんです。
そうして、19の曲に出てくるギターコード、CとG、AmとEm、そしてFをひたすら繰り返していました。
ただ、コードだけ弾いてても全然面白くなかった私は、できないながらも弾き語りの練習も無理やりやっていました。
私は早く19のように格好良くギターを弾いて歌えるようになりたかったからです。ギターだけじゃモテないですからねぇ。
でも全部は全然弾けない。歌いながら弾くって最初はもう難しくて…
なので、19のたいせつなひとに出てくる1フレーズ、
「手を振ればそれで完了、分かり合える友達のよう。」というフレーズをひたすら繰り返し、
ゆっくり弾いて練習していました。ダウンストロークだけで。
全然弾けなかったし、スピードももの凄くゆっくりで、
聞いてる人はたいせつなひとを弾いてるなんて気づけもしないようなものでしたが、
この練習を通して、私は少しギターが楽しいと思えるようになってきていました。
そういった練習を続けていくうちに、段々弾ける部分も増えていって少しは楽しくなってきたのですが、
残念ながらいつまで経ってもバレーコードのFができるようにならず曲が最後まで弾けない。
これがもう初心者キラーなんですよ!
ギターの教則本とかも買って、1ページずつ読み進めてはみるものの、本に書いてある通りやってみてもできない。
何日も同じ練習しても、実力は何日も同じまんま。
私はこの時「あぁ、また挫折するんか。」と思いました。
体育と同じように、音楽も結局落ちこぼれになるのか、と。
自分の不器用なギター弾き語りを毎日聴きながら、次第に気持ちは落ち込んでいきました。
もうやってても意味ない、モテることもないし辞めてしまうか、と思った時でした。
中学の同級生「なり」のおかげで上達
そんな時、中学からの友人である「なり」という男から教えてもらったのが、Fを簡単コードで代用して弾く、という方法でした。
これは当時の私にとって非常に画期的な方法でした。
なぜなら、私が何より苦戦していたのは、Fをはじめとする「バレーコード」と呼ばれる、
人差し指で全部の弦を抑えないといけない難しいコードだったからです。
これがとにかく全くできず、Fが原因で「たいせつなひと」を一曲通して弾くことができなかったのです。
だからこれを教えてもらった私は、その日のうちに「たいせつなひと」が曲がりなりにも弾けるようになったのです。
Fを簡単にした結果、「たいせつなひと」以外の19の曲も大体弾けるようになっていきました。
できるようになると楽しくなるもので、CGAmEmF以外にもAやD、Eなど他のコードにも挑戦するようになっていきました。
弾けるコードが増えると、弾ける曲も増えていく。
カラオケでしか歌えなかった曲が、家で歌える。
私はギター弾き語りが楽しくて夢中になっていきました。
はじめておもちゃをもらった子どものように、貪るように弾くようになりました。
そうして日々の中にギター弾き語りが定着してきた私。
当時、19の曲を検索した時に19の曲を弾き語っている人の動画を見つけます。
そこでは私よりも若い人が、私よりも圧倒的に上手に弾き語りをしていて
「え、こんなにうまいのにプロじゃないの!?」と衝撃を受けました。
そして、その動画に集まっている「うまい!」とか「聴き惚れる〜」などの絶賛コメントを見て、
「うわ、モテてる!羨ましっ」と思いました。元々モテたくて始めましたからね。(笑)
そこで自分もYouTubeで弾き語り動画を発信しようと、デジカメを購入して弾き語り動画をアップするようになります。
社会人になってからの挫折と決意
ちなみにこの時まだバレーコードはできていませんでした。
歌も大したことなくて、カラオケの点数は67点ぐらいです。
でも「行動したもん勝ちだ!」ととりあえずYouTubeにアップ。
当時は弾き語り動画をアップしている母数が少なかったため、毎回の動画で100回は再生されていました。
高評価2 低評価8ぐらいの割合でしたが、中には「うまいです!」とか、「癒されました!」とか暖かいコメントもあり、
これがモチベーションとなり、大学卒業後一般企業に就職した後もしばらくこの活動を続けていました。
ちなみに「下手!」とか「よくこのレベルで動画アップしてんなw」とか、アンチコメントも同じぐらいありました。
ですが一般企業に就職も決まっている大学四年生時はもはや無敵モードで、
「こういう活動ができてる俺はかっこいい」と自分にひたすら酔っていました。
とはいえこの時はあくまで学生の趣味、というレベルでこの後まさかギターが仕事になるとは想像だりしませんでしたね。
しかし、本格的に正社員として働き始めると、次第に音楽は後回しになってしまいます。
朝から晩まで働いて、疲れて帰ってきたら、寝るしかできないのです。
幼い頃に始めた体操、水泳、サッカー、絵の教室、などなど、
あらゆる習い事をことごとくやめていった私にとって、ギターは初めて唯一続いたものでした。
でも、もうそれすらもやめてしまった。
自分は本当にどうしようもないやつだな、と思い涙が流れました。
しかし、それでも明日はやってきます。
また朝早く出勤しなくてはなりません。
だから、ギターを手に取ることはありませんでした。
次第にギターはホコリをかぶっていきました。
その埃をかぶったギターをみて「あぁ、もう取り返しのつかないところまできてしまった」と、
悲しい気持ちになったことを覚えています。
確かその時の給料は、新卒で手取り22万ぐらい。
ボーナスも夏冬とそれぞれ出て、社員寮で住むところにも困らず、お金はどんどん溜まっていきました。
でも、朝出勤して働いて夜遅くに帰ってきて寝るだけの生活です。
入社一年目は資格を取るために勉強もしなくてはならず、休みの日は研修会に行き、仕事の日は一日中仕事。
帰り道でコンビニで夜ご飯と明日の朝ご飯を買って、缶チューハイをすすりながら無言でTVを見て、
つけっぱなしで寝て飛び起きるような日々。
もはや何のために生きているのかわからなくなってきた時でした。
ある日、私は会社で右手の剥離骨折という大怪我をしてしまいます。
ある商品を運んでいたのですが、高く積み上がったその商品が急に崩れ、右手の親指に重くのしかかってきたのです。
「ぐきぃ」と痛そうな音が鳴り、右手の親指が内出血、はじめて経験する痛みに悶絶しました。
商品が崩れた音で周りに人が集まり、青ざめた上司がすぐに病院に行けと、車を手配してくれました。
診断は剥離骨折。
結構体を使う仕事でもあったため、業務ができなくなった私は家で休まざるを得なくなります。
やることもないし、久しぶりに音楽でも聴くかと、YouTubeでギター弾き語りチャンネルを見るようになります。
どの人も上手く見え、大学時代の自分を思い出し、「あぁ、ギターが楽しかったあの頃に戻りたいなぁ」と、
少し切ない気持ちになりました。そうして巡っていくうちに、あるチャンネルに出会います。
そのチャンネルでは、自分より若い女の人が、ギター1本で生きていこうと必死に弾き語り動画をアップしていました。
まるで、大学生の頃の私のように。
ただ唯一違う点は、「上手い」という一言に尽きます。
そして動画も当然のように数万再生しており、コメントも絶賛の嵐。
もうすでにファンがついているようで、あげくのはてに最新の動画では「メジャーデビュー決定」、
という衝撃的なお知らせ動画までありました。
そのチャンネルの姿は、当時の私が憧れていた図そのものでした。
自分がいつの間にか諦めてしまった道を、この人は歩んでいる。
なぜか今の自分が凄く恥ずかしいものに思えてしまいました。
片手でカップラーメンをすすりながら、無性に悔しくなりました。
なぜ自分は普通に就職して、普通に働いて、でもその普通すら満足にできなくて今こうして休んでいるのか。
どこで間違えたのか。
たまらなく悔しくなって、それ以来その人のギター弾き語り動画を見ることはできなくなっていました。
当時の私は就職したとしても、Youtubeに弾き語り動画をアップしていれば関係者が見つけてくれてデビューできるだろうと甘い考えを持っていました。実力も行動も運も何もなかったのに。
あげくのはてに続けることすらできなかったのですから、0,1%ぐらいあったチャンスも自ら0%にしていたのです。
私は右手が治ってからも、悔しさや恥ずかしさが解消できず、
こんな自分でもまだ音楽で食べているチャンスがあるかもしれない、と思うようになります。
私は、会社に復帰した後、どれだけ疲れて帰ってきてもYouTubeで弾き語り動画をアップするようになりました。
0%のチャンスを0,1%にするために。
体育からも逃げ、仕事からも逃げ、今まで全ての現実から逃げてきた私は
今度こそこの悔しさを忘れないことを決心します。
そして10ヶ月ほど仕事をしながら音楽を続けていた私ですが、
いつまでも変わらない日々に、「このまま死ぬのは嫌だ!」と、ついに仕事を辞めることを決意します。
ギターに本気で向き合うことを決めた、私なりの覚悟のつもりでした。
この時、両親からは大反対されました。
というのも、私が当時働いていた会社は東証1部上場の大きな会社で、親からしてみればこれ以上ない安心材料だったからです。
わざわざ仙台から東京に両親が来て、説得をされました。
実際「せっかく良いところに就職したのだからやめないでほしい」と何度も言われました。
そして「素人レベルの音楽で何を仕事にするんだ」とも。
「とにかくやるんじゃ!」と当時の私は聞く耳を持ちませんでした。
両親は大変心配したことでしょう。
この時私は、絶対に今の会社を辞めなくてはならない、と思っていました。
ずっと燻っていた違和感が、メラメラと燃え始めていたからです。
普通に就職してしまった違和感、音楽を捨ててしまった違和感、好きなことをやめてしまった違和感。
これが10ヶ月のうちにどんどん大きなものになっていきました。
「自分の人生なのに、自分のやりたいことを犠牲にして生きていくのか」と。
この辛かった社会人の10ヶ月が今の私のモットーとなった「好きな人と好きなことで生きていく」に繋がっていくのです。
結局私は「どうしても音楽で食っていく」、と会社を辞めてしまいます。
仕事を辞めて音楽活動開始、でも実力はウンコ💩
そうして貯金を崩しながらバイトをして日銭を稼ぎ、貧乏ながらYouTubeの更新頻度を上げたり、
路上ライブをしたり、オーディションを受けたりと、自分なりの音楽活動を続けます。
ただ、この時の生活は私史上一番ひもじいものでした。
三食焼きそば、おかずはあってもモヤシのみ。外食はマクドナルドすらいけません。
ちょっと贅沢をしたいと思った時は、スーパーで惣菜が半額以下になる時間に急いで買いにいったりもしていました。
すぐ買ってしまうと半額で終わりなので、ギリギリまで粘って7割引ぐらいになるタイミングで買ったりしていました。
望みの惣菜が買えた時は嬉しくて大事に3日に分けて食べたりしていました。
ただ、それだけの生活をしておきながら音楽の方では全く成果が出ていませんでした。
ストロークも合わない、テンポもめちゃくちゃ、歌の音程もひどかった私の当時の弾き語り動画には辛辣なコメントが多く、
路上ライブでも人は集まらず、オーディションも受からない日々が続きます。
↑低評価が多いとこんなグラフになります。
そしてこのままじゃダメだと思った私は、自分のレベルを上げるために音楽教室に行くことを決意します。
ギターを上達させたいならもちろんのこと、
私はプロになりたいと思っていたのですから今までむしろ独学だったことがおかしいくらいです。
楽器を上達するのにレッスンに通わないのは正直、とてつもなく効率の悪い行為だったととても反省しています。
いい先生に巡り合わなければならないと思い、まずはいわゆる大手の様々な教室を渡り歩きましたが、
色々比較した結果、結局個人指導の方が手厚く指導してもらえると私は感じて、
個人指導の教室に通うようになります。(※個人の見解です)
結果、それは大正解でした。
その中で歌とギター、両方のレベルが低いと気づいた思った私は、それぞれの先生に教えてもらうようになります。
歌の先生の第一声は「息漏れすぎ。」でした。
当時の私は(実演)のような感じで、息漏れしながら歌っているような状態だったからです。でも私はそれがかっこいいとまで思ってしまっていました。
息を沢山出してしまい長い発声もできず、すぐ喉も枯れているのに、です。
先生は、「それはそういう声質の人が普通に出して鳴ってる声だから、それを君が真似すると無理してて気持ち悪いし体にも悪い」と言いました。確かにその通りだと、体に衝撃が走ったことを覚えています。
このように自分の体や曲をしっかり見て一人一人に合わせた指導をしてくれる先生と出会えたことに私はとても感謝しています。
「よくこのレベルで活動してたね〜」など沢山厳しいことも言われましたが、
「諦めないでやっていけば良くなるよ、良い声はしてる」と言われたことがモチベーションになり訓練を続けました。
当時の私はこのレッスンに通うまで、「ある程度上手い方」だと思っていました。
しかしこの先生は、自分の声を録音して聴くレコーディングレッスンや、
鍵盤と同じ音を出す基礎レッスンなどを通じて、沢山の「私が下手くそである」という現実を見せてくれました。
そして、レッスンのたびに「続ければ誰でも上手くなるよ」、といい、
「こんな自分でも上手くなれるんだ」という希望も感じさせてくれました。
苦手だった歌に対して苦手意識がなくなったのは、この先生の存在が大きいです。
そしてギターの先生には、
はじめてのレッスンの時に一通りレパートリーを聴いてもらったところ、
「うん、お前はとにかく基礎が足りていない。元気なだけ。それじゃ素人感は無くならない」と言われたことをよく覚えています。
「よくこれで活動してたね」とも。
両方の先生にそういわれた私は、プロに客観的に演奏を見てもらうことがどれだけ重要なのかとここで学びました。
YouTubeのコメントで、「なんか全部が雑。そんなの弾き語りじゃない」と言われることもあった私には、
ぴったりなご指摘でした。
先生はさらに、
「あと歌もやばいね。腹式呼吸もできてない。下手。」
「まぁでも俺はギターを教えるから。このレベルだったら、まず基礎練やるしかないよ。うまくなってからも基礎練はやったほうがいい、俺も未だにやるから」と続けました。
私はその時、「あー、基礎練かぁ、だるそうだなぁ・・・」という顔をしました。
初対面でしたが先生がもう怖かったので、口には出してません。
でもそれを察したのかその先生は、
「まぁやれって言ってもやらないでしょ?だから下手なんだし。だから一緒にやろう」
と言い、レッスンの時間はほとんど一緒に基礎練をするようになりました。
メトロノームを使った右手のストロークトレーニングや、左手の基礎練習などを、先生と雑談しながらひたすらやっていました。
最初は満足にフレーズもおさえられませんでしたが、根気よく先生は教えてくれました。
冷たい人だと思ったけれど、実際は、とても優しい先生でした。
今思えば、こうやって先生が基礎練習を一緒にしてくれていたから、無理矢理でも基礎練習を続けることができたのだと思います。
雑談をしなくてはならないので、一人で練習している時よりも基礎練に集中できず、
それが基礎練の難易度をあげてくれて逆に良い練習になっていました。あと先生との雑談は単純に楽しかったので、
自然と練習が捗りました。
恩師や音楽仲間と出会い、音が楽しくなっていく
こうして歌もギターも楽しんで取り組めた私は、いつのまにかストロークも安定、Fなどのバレーコードもできるようになり、
弾き語り動画でのコメントでも「お、歌上手くなってる!」とか、「ギターだいぶ良くなった」とか、
暖かいコメントが増えていき、ますます楽しくなっていきました。
滅多に褒めない歌の先生からも
「だいぶマシに歌えるようになってきたな」
と言われたり、ギターの先生からは「マシな演奏ができるようになったね。昔と全然違う、諦めず続けてよかったね。」
と言われて、大変嬉しかったのを覚えています。
プロの指導のもと、ちゃんと続ける、つまり正しい方向へ努力を積み上げる。
これがなんだかんだ上達の早道なんだなぁ、とここで確信しました。
そこで基礎練の大事さを学んだ私は、自分がレッスンをするようになった今、最も基礎練を重要視しています。
明らかに自分がうまくなりましたし、同じ時期に入会した他の皆も、先生との雑談基礎練を通じてメキメキ上達していきました。
だから今私のレッスンでは、その時の経験をもとにさらにブラッシュアップした基礎練特別メニューを行っています。
話は戻りますが、私はその教室の発表会などで、音楽仲間も増えていきました。
その音楽仲間と一緒にライブをしたり、時にはバンドを組んでみたり、セッションをしたりと、
一人では知りえなかった音楽の楽しみ方を沢山教えてもらいました。
音楽は一人でも楽しいですが、仲間がいるともっと楽しいものなのだとこの時気づいたのです。
先生との出会いや音楽仲間との出会によって、一人で弾き語ることしかできなかった孤独な私の音楽人生は大きく変わりました。
私は音楽がより楽しくなったことで、ギター弾き語りもそれなりに上達していきました。
だからこの頃から、私のようにひとり孤独にギター弾き語りをしている人に、
もっと音楽の楽しみ方を教える、そんな仕事がしたいと思うようになります。
初めて自分が心からしたいと思えた仕事です。モテたいとか現実逃避、とかではなく、
自分と出会ってくれた生徒の願いをギターで叶える。生徒一人一人と真摯に向き合い、一人一人の願いを叶えるギターレッスンをする。
そんなギターレッスンをモットーとしています。
それからYouTubeで弾き語り講座を載せるようになり、レッスンなど今の仕事を始めました。
そして、「好きだった曲がはじめて弾けるようになりました!」とか、
「何して良いかわからなくてギター放置してたけど、先生の動画みて今毎日弾いてます!」とか、
「先生に出会って基礎練の大事さがわかりました!前より弾けるようになって楽しいです!」とか、
嬉しいお言葉を毎日いただくようになりました。
最初は無理だと思っていたオンライン形式でのレッスンも、マイクや通信環境を整えてできるようになりました。
「レッスンがあると強制的に練習できるから、勝手にうまくなる」と言ってくれる生徒もいて、
「練習する機会を作りたい」と、今ではカナダや韓国から私のオンラインレッスンを受けてくれる方もいます。
そして先日、生徒達の協力の元、オフライン限定ではありますが、初のくまっけ音楽発表会を開催することができました。
全く弾けないところから上達してオリジナル曲を披露する生徒や、
自分の好きなアーティストを自分なりにアレンジして弾き語る生徒などなど、
各々が楽しい時間にしていて、
先生である私も大変嬉しい時間となりました。
そしてこの発表会を機に生徒同士が繋がってくれて、今も楽しく切磋琢磨しています。
でももっと、この輪を広げたいのです!
そしてこの動画で語った思いに共感してくれる「ギターを通じて何かを成し遂げたい」「今よりもっと楽しくギターを弾きたい」「自分に合ったギター練習法を見つけたい」「ギターや音楽を愛する気の合う仲間と出会いたい」という人たちを救い、だから、
ひとり孤独に練習している人でも上達できるような「くまっけ弾き語りふわふわコミュニティ」というサービスを開発中です。
ギラギラしたものではなく、ふわふわしたものにしたいので、この名前にしました。
そこは、ギター弾き語りを愛する人たちが楽しく上達できる幸せな場所です。
『好きな人と好きなことで活きていく』というのが私のモットーなので、まだ見ぬ好きな人と出会い、
その好きな人同士でより音楽を楽しめたら最高だと思います。
もしこのコミュニティに興味がある人がいたら、こちらのくまっけ音楽公式LINEに登録してください!
好きな人と好きなことで活きていく
実際、この仕事を始めてから様々な方に出会いました。
例えば、高校を途中で辞めて時間だけはあると言っていた子。
その子は音楽が好きで、ギターは買ってはいたもののどう練習していいかわからず、
数年間部屋のオブジェになっているということでうちの教室に来ました。
最初の姿は初心者時代の私と同じで、何を練習していいかわからない、
コードとはなに?ストロークってどうやるの?という状態でした。
しかし、一緒に基礎練をしたり、その子の好きな曲を簡単コードでアレンジして弾き方を教えたりしていくうちに、
いつの間にか弾けない曲はないという状態までになりました。
今では当たり前にバレーコードも弾けて、楽しく音楽をしています。
まさかこんなにできるようになるとは思わなかった、
と驚いた顔で一年の総括をしてくれたその子の言葉に私も嬉しくなりました。
ある主婦の方は、ギターが弾けるようになって施設などで弾き語りをしたいといってレッスンに来ました。
最初はもちろん何も弾けず。
その方が弾きたいと言っていた曲を簡単アレンジにして練習するところからはじめ、様々な練習を通して上達。
先日はじめてある施設で弾き語りを披露していました。
その施設での弾き語りが決まった、と嬉しそうに私に報告してくれた時、私も本当に嬉しかったです。
その方はその初ライブも無事成功、これからのライブに向けて今もレッスンに通ってくださっています。
できなかったものができるようになり人生に彩りが加わる、そんな手助けができるこの仕事を私は誇りに思います。
私は人の数だけ可能性があると思っているので、これからも沢山の人に出会っていきたいのです!
できるようになっていつか私とコラボしてくれたら私も嬉しい、だから私も全力で教えることができています。
私は家族バンドもしていますが、その家族バンドで2032年までに武道館でライブをするのが目標の一つです。
その時の武道館ライブでは、ぜひ生徒にも出演してほしいと思っています。
そういった音楽の楽しさもどんどん共有していきたいし、共有できる同志もたくさん増やしたい。
だから一緒に音を楽しんでくださる仲間を募集しています!
ということで、だいぶ長くなってしまいましたが、今回は私のこれまでのこと書かせていただきました。
少しでも皆様のギター上達の参考になりましたら幸いです。
皆様のギター上達を心から応援しています!